大会報告 The American Drama Society of Japan
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第15回大会

と  き 1998年6月26日(金)・27日(土)
と こ ろ ホテル清海(〒519−0600 三重県度会郡二見町神前海岸)
テーマ 「70年代以降のテネシー・ウィリアムズ」

第1日 6月26日(金)

研究発表 司会  中村 英一(金城学院大学)

1.敗者の美学 松本 美千代

 前期のウィリアムズ作品では登場人物が虚栄や幻想、想像の世界を剥奪されて現実直視を迫られるところに劇的緊張感があった。しかし後期の作品では逆に人生の敗残者たちが絶望、焦燥感、不安という現実を回避するために幻想を成立させる場を求める行為自体が劇化されている。物理的にも精神的にも監禁され、居場所を求めて苦闘する人物たちは、罪悪感を背負いつつ、孤独や死への恐怖から逃れ、自由と放縦を求める旅人ウィリアムズ自身と重なる。自虐的なまでの自己暴露を続けるウィリアムズにとって解放への唯一の道は幻想の成立、つまり芸術と創造の行為である。自己破壊的な自己表現への固執という芸術家の宿命と個人としての葛藤をClothes for a Summer Hotel (1980)において考えてみたい。

2.もう一人のウィリアムズ 谷林真理子(川村学園女子大学)

 ウィリアムズは出世作 The Glass Menagerieで、ナレーターのトムと登場人物のトムを舞台上に登場させることによって、自らの姿を見るもう一人の自分を設定した。 1970年に書かれたConfessionalを改作したSmall Craft Warningsでは、ドックとクエンティンという等身大の自分を登場させ、社会の吹きだまりのようなマンクの酒場に集まる人々の、行きずりの触れ合いを描いた。さらに1975年にMemoirsを書くことによって自らの姿をさらけ出したウィリアムズは、Vieux Carre、 Something Cloudy, Something Clear でも、作家あるいはオーガストというウィリアムズを投影する人物に過去を語らせている。ウィリアムズはこれら一連の作品の中で、自虐的ともいえるほど執拗に過去と現在の自分を描こうとする。本発表では、Small Craft Warningsを中心に、自らの姿を見る劇作家の冷酷な目について述べたいと思う。

3.私的生活の作品化は何をもたらすか――晩年のWilliamsを考える 貴志雅之(金蘭短期大学)

 晩年の70年代終わりから80年代初めにかけて、作家あるいは作家である自分自身を扱った作品をWilliams は創作する。Vieux Carre (1977)、Clothes for a Summer Hotel (1980)、 Something Cloudy, Something Clear (1981)である。
 本発表では、作家が自らの私的生活を作品化する行為は、作家自身にとり、どのような意味を持ち、何をもたらすのか。この問いをテーマに、Vieux Carre (1977) を中心に晩年のウィリアムズを考える。



第2日 6月27日(土)

シンポジウム 「70年代以降のTennessee Williams」
司会・パネリスト 若山 浩 (愛知学院大学)
パネリスト 石田 章 (同志社女子大学)
  黒田 絵美子 (中央大学)


 Williamsには、彼が"my stoned age""と呼んだ1960年代の終わりに、二つの大きな出来事が起こっている。一つは、ローマン・カソリックへの改宗(1969年1月)であり、もう一つは、St. LouisのBarnes Hospitalの精神科に3ヶ月間入院(1969年9月から12月)したことである。長かった"stoned age"とこの二つの出来事を受けて始まった1970年以降は、いわばWilliamsにとって再生の時代であったと言ってよいかもしれない。本来旺盛であった彼の創作活動が再開され、1983年2月の突然の死までの12年間にかかれた新作劇、旧作の改作劇、小説、回想録、詩などを含めると、その数は1940年代や50年代に勝るとも劣らない。
 それにもかかわらず、受けた評価は全く反対であり、少なくとも劇作に関しては、彼が期待したような上演上の成功を収めることができたものは一つもない。批評の多くは、あまりにも個人的過ぎるとか、以前のものの繰り返しであるといった冷たいものであった。あまりにも早く高い評価を得た作家には宿命的であるが、その後の作品は絶えずそれと比較されることになり、新しい評価を得ることはなかなか難しい。そんなわけで、Williamsという劇作家は1950年代で終わったかのように考えられがちである。
 しかし、たとえ上演上の評価は得られなかったにしても、Williamsの死後16年経った今、彼がこの時期に何を考え、それをどのように表現しようとしたかを考えてみるのも意義があり、今回のシンポジウムの目的もそこにあるかと思う。周りの人間の死や、自らの死にも近い60年代の苦難を経て、60歳代という老境に入ったWilliamsが、それまで以上により内面の問題に目を向け、自らの死をどのように受け入れていくか、それとのかかわりで自分のこれまでの生のあり方を内省し、生きていることの意義、特に芸術家として生きることの意味とその狂気や苦悩などを追求しようとしたのも当然であろう。
 今回、石田先生にはSmall Craft Warningsを、黒田先生にはClothes for a Summer Hotelをそれぞれ中心にしてお話していただくことにし、若山が司会を兼ねてSomething Cloudy, Something Clearを中心にして論じることにした。発表者の方にも限界があり、必ずしも全てを網羅できるとは限りませんので、是非フロアーの皆様からの補足や活発な意見を期待しております。(若山 浩)



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