大会報告

全国アメリカ演劇研究者会議 第16回

と  き 1999年6月25日(金)・26日(土)
と こ ろ 熱海温泉 かど半別館(〒413-0015 静岡県熱海市中央12-28)
テーマ ランフォード・ウィルソン研究

第1日 6月25日(金)

研究発表

司会  高橋 克依(北星学園大学)

1.消えた”e”

天野 貴史(大阪外国語大学 院生)

 Serenading Louieの不評でスランプに陥ったウィルソンは、Circle Repertory Companyのために作った新作The Hot l Baltimoreで新たな演劇の方向性を示す。Baltimoreのホテルでの一日という限定的な舞台設定ではあるが、”e”の抜けたタイトル、”a recent Memorial Day”という時代設定、度々舞台にこだまする鉄道の汽笛などは、この作品を時間的にも地理的にも広がりのある作品にしている。本発表は、取り壊し寸前のホテルという一種のコミュニティーにすむ人々(家族)の分析を中心に、これまでのウィルソン演劇とは違った “Hotel Baltimore”独特の世界を考える。

2.The Rimers of Eldritchは異色作なのか?

清水 純子

 The Rimers of EldritchはWilsonらしくない戯曲だというのが、英米の批評家の一致した意見である。彼らによると、「Wilsonの劇は、一般的に楽観的な視点で描かれており、登場人物に対しては暖かい共感が示されている。それなのに、この劇では、町の人々の偽善と悪が容赦なく批判されており、人間への深いペシミズムがあらわれている。」
 しかし、はたしてWilsonは、そんなに楽観的に人間をとらえた作家なのだろうか?私はWilsonに対するこれらの見方は、彼の劇の表面に表れた部分のみを鵜呑みにした批評であり、この作家の特質を本当にはとらえていないと考えている。一見、毛色が変わっているとされてきたThe Rimers of Eldritchこそ、Wilsonの本質を含んでいると思う。従って、今回はこの作品を通して、Wilsonという作家の今まであまり注目されていなかった部分に光をあてることにより、その本質に迫ってみたい。


第2日 6月26日(土)

シンポジウム 「5th of July, Talley’s Folly, Talley & Sonをめぐって」

司会・パネリスト 長田 光展 (中央大学)
パネリスト ジョン・ブローカリング (中央大学)
  竹島 達也 (早稲田大学 院生)

 私は、長いことLanford Wilsonの作品に何か掴み切れないもどかしさを感じ続けてきた。考えてみると、それは彼の叙情性とリアリズム性との奇妙な混合、混成にあったのかもしれない。This is the Rill Speaking、The Rimers of Eldritchなどには、Williamsを彷彿させる豊かな叙情性と内面性があると同時に、社会を全体的に捉えようとするElmer RiceやArthur Millerの群集劇的リアリズム感もいきづいてきた。叙情性とリアリズムとの混成はその後の作品The Mound Builders5th of Julyにまで引きつがれて、彼の作品を神秘なベールに包んできた。優れたリアリズム作家である彼の作品に伴う、この曖昧さと不明瞭感。これは明らかに彼の劇作法から出ているものに違いない。
 今回のシンポジウムでは、作者が5部作として計画したらしいTalley家物語のうち、すでに完成している上記3作をまとめて取り上げ、素朴な作品論の試みから、その劇作法の特徴、Talley家編年史を組み立てる意味などなどについて(できればこれら以外の作品と関連させながら)論者たちの自由かつ有機的な討論が着たいできれば幸いである。
 上記3作(とりわけ5th of July)は、Wilsonの全生涯中でも最も充実した時期の成果であることにまちがいなく、その意味だけでも別途取り上げる十分な意味があろう。 (長田 光展)