大会報告

全国アメリカ演劇研究者会議 第18回

と  き 2001年6月23日(土)・24日(日)
と こ ろ 東京グリーンホテル御茶の水(〒101-0063 東京都千代田区神田淡路町2-6)
テーマ オーガスト・ウィルソン研究

第1日 6月23日(土)

研究発表

司会  古木 圭子(高知女子大学)

1.Joe Turnerはまだそこにいる――ポスト奴隷制におけるアフリカ系アメリカ人

天野 貴史(大阪外国語大学 院生)

Joe Turner’s Come and Goneにおいて、Herald Loomisはアフリカ系アメリカ人の無意識に潜む奴隷としての記憶・歴史に覚醒する。彼は奴隷所有者の信仰するキリスト教を批判し、切りつけた胸から滴り落ちる血でもって自らに洗礼を施すことによって”shiny man”として復活する。
 本発表においては、”The One Who Goes Before and Shows the Way”という、奴隷制から真に開放された主体へと変身を遂げるHerald Loomisに焦点をあて、彼の旅の意味を問うことにする。

2.オーガスト・ウィルソンの作品における語りの方向性

伊勢村 定雄 (東洋大学 非常勤)

 オーガスト・ウィルソンの芝居では、登場人物の語りが芝居の成立に重要な役割を果たしているとよく言われています。それは、アメリカという土地で、アフリカ系アメリカ人たちの集団が、奴隷制度という苦難の中、人間としての証として、言語活動を営々とつなげてきた伝統の一端とみることができます。その流れがウィルソンの芝居にも現れていると考えられています。ウィルソンの芝居の登場人物達は、それゆえ行動的でもあるが、一方で数人あるいは2,3人で集まって過去のことやふるさとである南部でのでき事を語る時に、特に生き生きとした様子を帯びることになります。
 口承伝承による伝達の方法は、元々アフリカ起源とはいえ、語られる内容は決してアフリカのことではなく、全体として、アフリカ系アメリカ人たちが奴隷制やその後の開放の時代から、これまでの時代を通じてずっと抱えてきた問題にかかわるものです。
 この発表では、Ma Rainey’s Black Bottom, Fences, Joe Turner’s Come and Goneを中心に、いくつかの語りにスポット当て、何ゆえ彼の作品では語りが重要であり、どう芝居の成立に関わっているのかという観点からこの語りを検討することにしたい。

3.The Piano Lesson――アフリカン・アメリカンの夢と現実

清水 純子 (法政大学 非常勤)

The Piano Lessonは、大恐慌(1929年)の不景気をひきずる1937年、北部のピッツバーグの黒人家庭に置かれた、一台の年代もののアップライト・ピアノをめぐる騒動と争いを描いている。このピアノにまつわる血塗られた歴史は、時間と空間、人種を超えて生きつづけてきた。ピアノは、南部の奴隷制度以来の白人と黒人の間の流血の争いをひきずったまま、黒人家庭の中にあって黒人姉弟の対立のもとになろうとしている。黒人の苦悩の歴史が彫刻されたこのピアノがまきおこす、過去から現在にいたる黒人達の夢、それに対立するアフリカン・アメリカンの現実について語りたい。


第2日 6月24日(日)

シンポジウム 「オーガスト・ウィルソン―その主題をめぐって―」

司会・パネリスト 有泉 学宙 (静岡県立大学)
パネリスト 古山 みゆき (共栄学園短期大学)
  若山 浩 (愛知学院大学)
  黒川 欣映 (法政大学)

 ウィルソン(August Wilson, 1945-)は1960年代、黒人公民権運動・芸術革新運動にコミットして演劇活動を始め、また、当時はじめてベッシー・スミスを聞いてブルースに目覚めたという。ウィルソンにとってブルースはアメリカ黒人の魂であり、また、彼の精神的、社会的、政治的メッセージである。
 ウィルソンの劇は、黒人演出家ロイド・リチャーズ(Lloyd Richards, 1923-)によって演出されてきた。リチャーズは、黒人女性劇作家ロレイン・ハンズベリ(Lorraine Hansberry, 1930-65)のA Raisin in the Sun(ニューヨーク初演1959年)の演出で名を成し、いまはウィルソン劇の他に、南アフリカの劇作家アソル・フガード(Athol Fugard, 1932-)の作品を主に手がけている。ウィルソンが白人の演出家でなく黒人の演出家にこだわるのは、白人が黒人を知る以上に黒人は白人支配文化の中の白人についてよく知り、そこに黒人の生存が依存していることを、彼が認識しているからである。
Ma Rainey’s Black Bottom(1984)の背景は1920年代、Fences(1987)1950年代と60年代、Joe Turner’s Come and Gone(1988)1910年代、The Piano Lesson(1990)1930年代、Two Trains Running(1992)1960年代、そしてSeven Guitars(1996)が1940年代(未出版でオフ・ブロードウェイ上演中のJitneyは1970年代、1980年代を描くKing Hedley IIは今春ブロードウェイに出る予定である)。かくしてウィルソンの劇は、20世紀を10年毎に区切る一種の年代記である。それは、南部から北部へ移動した黒人庶民のまなざしで見直されたアメリカの歴史の「修正」作業である。
 シンポジウムでは、古山がTwo Trains RunningFences、若山がMa Rainey’s Black BottomJoe Turner’s Come and Gone、黒川がThe Piano LessonSeven Guitarsを担当し、作品紹介と主題について語る。それをもとにして、有泉がウィリソン劇全体に関わるテーマを提出し、討論のいとぐちをつくりたい。討論のテーマとしては、例えば、アフリカニズム、フェミニズムによるテクスト再読可能性の検証、またウィルソンと他の戦後の黒人劇作家との比較等が考えられるが、これらをとおして戦後アメリカ黒人劇の流れの中におけるウィルソンの特異性についても考察できれば幸いである。(有泉 学宙)