大会報告

全国アメリカ演劇研究者会議 第21回

と  き 2004年6月26日(土)・6月27日(日)
と こ ろ サンハイツホテル名古屋 (〒460-0003 名古屋市中区錦1-4-11)
テーマ アーサー・ミラー研究

第1日 6月26日(土)

研究発表

司会  原 恵理子 (東京家政大学)

1.Broken Glassにおける排除の構造 ― 自己と他者の鏡像関係

岡本 淳子 (大阪外国語大学 院生)

 Arthur Millerは1994年の作品Broken Glassの舞台を1938年に設定している。ナチスによるユダヤ人の迫害が大きなテーマとなっている本作品のなかで、医師のHymanは「ナチスは長くは続かない。すぐに終わるだろう」と繰り返す。しかしながら、50年を優に越す1994年において、いまだMillerはナチスとユダヤ人との問題にこだわっており、彼の中ではこの問題は終息していない。確かに、1938年以降、ユダヤ人狩りは、赤狩り、ホモ狩りとターゲットの変化のみを伴って存続していると言える。
本発表では、Broken Glassのテキスト内の「誰もが皆迫害されているのであり、迫害する者など存在しない」という言葉をもとに、ナチスによるユダヤ人迫害の深層心理を解明し、「自己の悪を投影する他者」の排除という赤狩り、ホモフォビア、人種差別にも共通する構造を考察する。その場合、題名が暗示し、作品中でも言及される「鏡」について考えることは分析の主眼点となるであろう。

2.成功神話の犠牲者たち――受容と寛容

松本 美千代 (和光大学)

 1990年代の『ラスト・ヤンキー』『モーガン山を下る』『壊れたガラス』の三作品を検討する。これらの作品ではミラーは経済的成功を追い求めるあまり精神的なるものの価値を忘れた現代人を描いている。『モーガン山を下る』は経済的成功を果たした男が妻と愛人に経済的安定を与えることによって二つの家庭を持つ権利を主張する話であり、『ラスト・ヤンキー』は経済的成功を夢見る妻が夫の競争社会からの絶縁振りに精神を患う話であり、『壊れたガラス』はやはり経済的に成功した夫が妻の精神的生活に無関心であったことによって結婚生活が崩壊するという物語である。社会と個人との関わりにおける悲劇を描いてきたミラーであるが、90年代の作品では登場人物が経済活動によって麻痺した道徳観を見つめなおし、それを修正しながら生きていくという希望を含んだ結末を取ることが特徴である。そのなかでミラーは文化的神話や秩序、教えや伝統にとらわれない生き方を示し、また精神的な価値をないがしろにした自己中心的な個人主義と無関心さを非難しているように見える。発表ではこれらの点を踏まえつつミラーの90年代作品におけるメッセージを考えてみたい。

司会  小玉 容子 (島根県立島根女子短期大学)

3.Arthur Miller ─ 絶対的関係に佇む劇作家 ─

本多 勇

 「二つの物体が同一空間を占めることができないと同様に、全ての組織は排除と禁止の理念に基づく」( The Crucible )。このことをMillerは、自らの人生で露骨に体験する。
 彼の二度の離婚は、二つの物体(人間)の同一不可能な絶対的関係を露呈する。
 McCarthyismは、他人が信じる事実に雷同するところの政治という幻想の力と自己との軋轢という絶対的関係をMillerに体験させる。After the Fall はこれらの体験をMillerがラジカルに描いた作品である。この後の作品はAfter the Fallの延長線上にあるものの、ラジカルであった表現は薄められてしまう。彼の体験自体つまり意識存在であるところの人間自体への問いには進んではいない。1994年のBroken Glassに「あらゆる人間は迫害されている」という台詞が表出する。人間自体への問いがないところでは、この台詞も虚しく響く。記録作家Millerの限界がここにある。このことはまた現在の文学表現の限界ではなかろうか。

4.The Crucible as “Melo-tragedy”

Jon Brokering (法政大学)

 This paper looks at Arthur Miller’s The Crucible (1953) in terms of how its dramatic form serves as a vehicle for the underlying moral themes of the play. An analysis of the text reveals that the play displays aspects of both tragedy and melodrama in a dynamic fashion that leaves leeway for various interpretations along a tragedy-melodrama continuum. Moreover, given Miller’s aim of condemning the specific threat to human freedom posed by McCarthyism, as well as the play’s more universal theme of the dangers that lie in “the handing over of conscience to another, be it woman, the state, or a terror,”* the unique combination of tragedy and melodrama served his purposes most effectively. Although melodrama had long since fallen out of favor in mainstream American theatre, the success with which Miller employed melodramatic devices in The Crucible demonstrated that it can still be a worthy and viable theatrical form.
*Miller, Arthur. The Theatre Essays of Arthur Miller. Robert A. Martin, ed. London: Methuen, 1994. (p. 162)


第2日 6月27日(日)

司会・パネリスト 及川 正博 (立命館大学)
パネリスト 黒川 欣映
  竹島 達也 (都留文科大学)
  有泉 学宙 (静岡県立大学)

 80年代以降のミラーの作品数は、12本に上る。これらを4人のパネリストが、年代別、テーマ別、あるいは技法別に論ずる方法が考えられるが、今回はまず、テーマの関連性を勘案して次の4グループに分け、◎の付いた主要作品を中心に*を付した他の作品と関連させ、80年代以降のミラー劇の特色を浮き彫りにする。その上で、それぞれを80年代以前の作品と関連させ、ミラー劇の主題と演劇技法の全体的な特色を論じてみたい。
 (1)◎The American Clock, Playing For Time(共通テーマ ―― 極限状況、サバイバルなど)。まずClock に見られる技法すなわち壁画を思わせるコラージュ的手法、二人の語り手の使用、ボーム家の場面と社会的ドキュメンタリーとの交互の平行展開などを考察し、次にテーマとして30年代初期の大恐慌時の極限状況に見られる人間のサバイバルの問題をTimeで描かれた、同じくナチのユダヤ人収容所での極限状況下で生き延びた主人公のサバイバルと比較した後、大恐慌を直接・間接に描く他の作品との関連性も考察の対象とする。(担当者:及川正博)
 (2)◎The Ride Down Mt. Morgan, Two-Way Mirror, Danger: Memory, Mr. Peter’s Connection (共通テーマ ―― 幻想と現実、娘の役割、死など)。上記の作品との関連性に触れた後、主としてこの作品のモラル劇の側面とその語りの手法を、これまでのミラー作品との関連で言及する。Death of a Salesman, The Crucible, A View from the Bridge、After the Fallには、男女関係、夫婦問題などを通して主人公の女性問題についての苦悩が描かれているが、Mt. Morganでは、大胆にも重婚が取り上げられる。また、ここにはSalesmanFallに見られる主人公の意識を軸とする語りの手法が使用され、プロットの展開を助ける。その方法の分析も試みる。(担当者:黒川欣映)
 (3)◎The Last Yankee, The Ride Down Mt. Morgan (共通テーマ ―― 夫婦関係など)。まず、テーマの観点からYankeeMt. Morganとの比較を試みる。次に、ごく平凡なリアリズム劇と評価されがちなYankeeの技法の特色、特に科白の特徴に焦点を当てて分析を試みる。さらに、アメリカン・ドリームや勤労倫理といったSalesman やAmerican Clockなどに見られるテーマとの関連でYankeeを論じ、この作品がミラー劇の系譜の中で置かれている位置やその意義などについて考察する。(担当者:竹島達也)
 (4)◎Broken Glass, Playing For Time (共通テーマ ―― ホロコースト、ユダヤ人問題など)。ミラー劇ではAfter the FallIncident at Vichyに見られるように、反ユダヤ主義・ホロコーストは人間の原罪の象徴となり、人間性の試練として描かれる。それはまた、現代人の倫理観=社会的責任性を試す踏み絵的な機能も果たしている。このような特徴が、Playing For Time やBroken Glassでもどのように引き継がれているのか、を考察する。また、これら二作品に見られる主題は、All My Sons以来のほとんどのミラー劇にも通底するもので、この点に関して私見を述べる。(担当者:有泉学宙)