大会報告

日本アメリカ演劇学会 第3回

と  き 2013年9月28日(土)・9月29日(日)
と こ ろ ザ・ホテル ベルグランデ(〒130-0026 東京都墨田区両国2-19-1)
テーマ ユージーン・オニール研究

第1日 9月28日(土)

研究発表

司会: 九州大学 岡本 太助

1.ポストモダン演劇におけるオニール
  ――The Wooster GroupのThe Emperor JonesThe Hairy Ape

お茶の水女子大学(院) 佐藤 里野

 ソーホーのガレージに拠点を置き、ニューヨークの実験演劇を牽引してきたThe Wooster Groupは90年代に2つのオニールの戯曲を手がけている。まず、92年にThe Emperor Jonesが、次いで96年にThe Hairy Apeが、どちらもElizabeth LeCompteの演出のもとで上演されている。90年代前半にリハーサルが始まったこれらの作品は、初演後には世界各都市を巡演し、2000年代に入ってもなお、改訂を経て上演が続けられている。
 Marvin Carlsonによって “postmodern recycling”と表現されるThe Wooster Groupのアダプテーションの手法は、過去の演劇作品の脱構築を明確に意識したもので、オニールのほかにもアーサー・ミラーやアントン・チェーホフ、ガートルード・スタインらの古典的演劇テクストをもとに、多くの斬新なプロダクションを生み出してきた。ここではオニールの戯曲テクストも換骨奪胎され、ヴォードヴィルなどのポピュラーカルチャーから日本の能の美学にいたるまで多種雑多なジャンルやマテリアルがミックスされるスタイルで提示されている。このような手法は、一方では古典的な戯曲の解体へと向かうものであるが、同時に、原作に見られるテーマ(たとえばオニールのThe Hairy apeに見られる階級やジェンダーの表象)をモチーフとして引き継ぎ、ポストモダンの美学の中で検証することで、1920年代に書かれたオニールのテクストを「再考」し、新たな演劇的解釈を提供する試みであるともいえる。
 そこで、本発表では、The Wooster GroupによるThe Emperor JonesおよびThe Hairy Apeのプロダクションを通して、現代演劇におけるオニール作品の受容のあり方を考察する。LeCompteらによる先鋭的な解釈からオリジナルのテクストを逆照射することで、オニールの作品の新たな一面に光を当てることを試みる。

2.「海」から「家」へ
  ――海洋一幕劇からLong Day’s Journey into Nightに至るまで

法政大学(非) 井上紗央里

 初期の海洋一幕劇をはじめとして、Eugene O’Neill の作品には海を舞台とした作品が数多く存在するが、O’Neillの作品の中で海を美しく賞賛すべき場面として描いているものは多くない。海洋一幕劇に関して言えば、例えばThirst (1913) やFog (1914) では遭難者が漂流する場面が描かれており、またIle (1917)では陸上での生活を切望しながらも、海上での生活の末についには心を病んでしまうMrs. Keeneyが登場する。このように、人間の力のまったく及ばない広大な海上で、登場人物達の多くは陸への憧れを抱き、心を病み、中には命を落とす者も存在する。
 O’Neill作品において海と陸というテーマは、Beyond the Horizon (1918)の中でAndrewとRobertという二人の兄弟の関係を通して明確に提示されているが、本発表では、「海」という広大で人智の及ばぬ場所から、陸、そして「家」というごく私的な狭い空間へと変遷していく場面について考察を行う。
 この考察を行うにあたり着目すべきなのは、劇中の登場人物達の「家」に関する台詞であろう。例を挙げれば、前述したFogのMrs. Keeneyは劇中しきりに、家に帰って台所や庭のライラックを見たいと話しており、またDesire under the Elms (1924) のAbbieも、はじめて夫であるCabotの家にやってくる場面で「私の家」「私の部屋」と言い自身の所有欲を隠そうとしない。O’Neill自身も舞台上の家や家具などにこだわりを持ち、父Jamesの俳優としての当たり役にちなんで名付けられたMonte Cristo Cottageの部屋にあった家具の配置をAh, Wilderness (1933) やLong Day’s Journey into Night (1941) の中で数回にわたり使用しているという記録もある。
 ホテルで生まれホテルでその生涯を閉じたO’Neillにとって「家」とはどのような存在であったのか、そしてそれは舞台上でどのような役割を果たしているのか、彼の作品の場面の変遷を辿りながら明らかにしていきたい。

司会: お茶の水女子大学 戸谷 陽子

3.Eugene O’Neill劇における終わりなき「終わり」探究

近畿大学 森本 道孝

 Eugene O’NeillのDays Without EndAh, Wilderness! は同時期に執筆・発表され、失った信仰への回帰あるいは失った愛情の回復という「もとの状態に戻る」結末を目指すという共通項を持ちながら、上演回数などに見られるその後の評価の違いがあまりにも顕著であると言える。その違いがどこから生まれるのか、また共通して訴えたいことは何であるのかを探ることを本発表の目的とする。
 まず、各幕の副題からも明らかなように小説の終わらせ方を巡る議論をテーマの中心とするDays Without Endの作成が、夢によるインスピレーションから思い立って書き始めたAh, Wilderness! の執筆によって中断されることで、作品の完成という「終わり」に向かう道筋がここで一度妨げられている。その後作品は完成されるものの結末の唐突な印象はぬぐえず、さらには当初のもくろみであったDynamoから始まる三部作も結果として未完に終わるという事実と、「終わりのない」というこの作品タイトルにある表現との奇妙な符合性に注目する。その上で、さんざん苦心しながら時間をかけて書き進めたDays Without Endよりも、この構想を中断する形で短期間のうちに書き上げたとされるAh, Wilderness! の方が、世の中からは評価されていくことになる皮肉な展開にも目を向ける。後者は短期間で完成させたこともあり、人物像などは種々の作品からの引用でつぎはぎのように塗り固められている印象も強く、またO’Neill自身の体験からは距離を置いた理想を描いており、自伝的要素が色濃くあふれるものが多い作品群においては異質な印象を与えている。一方の前者では、失われつつある信仰心の回復という自身の関心に近い深遠なテーマを扱うが、著者の力の入れ具合とは反比例するように評価にはつながっていない。
 以上のように、これら二つの作品における類似点と相違点を比較していくことで、この時期にO’Neillが抱えていた問題や、彼が訴えようとしていたテーマについて考えてみたい。

4.「不気味なもの」としての『悪魔祓い』(Exorcism
  ――オニールの掘りおこされた一幕劇

慶應義塾大学(非) 清水 純子

 長い間埋もれていたユージン・オニール初期の一幕劇『悪魔祓い』(Exorcism, 1919) は、2011年に90年の長い眠りを破って掘りおこされ、ニューヨーカー誌10月17日号に甦った。その発掘状況と内容の双方において『悪魔祓い』は、シグムント・フロイトの唱える「不気味なもの」の概念に適合する。『悪魔祓い』は、「ある種の驚愕をもたらすものなのだが、それは旧知のもの、とうの昔から馴染みのものに起因する」からである。一度だけ上演され、作者自身の手によってまたたくまに埋葬されてしまった『悪魔祓い』は、多くの批評家が伝え聞いて話題にしていたため、現代においても「旧知のもの」であり、その意味で「とうの昔から馴染みのものに起因」していたので「不気味なもの」であるといえる。
 本発表は、この失われたと思われていた戯曲、つまり「秘密に隠されたままにとどまっているべきなのに現れ出てしまった」「不気味なもの」が、墓から甦ったラザルスのように生還し、いくつもの劇場で、大口をあけて高らかな笑い声を響かせるようになったいきさつとその反響をあきらかにする。オニールは、「不気味なもの」として抑圧していた死の欲望をこの戯曲の執筆によって抹殺しえたゆえに、作家として新たなる命を得たと考えられる。それゆえにオニールはこの戯曲を遺棄したかったのだという批判を裏付けることを筆者は試みる。一幕物からフル・レングス・プレイへの転換期に位置し、オニールが過去と決別して大作家への道を歩みだす境目に書かれた『悪魔祓い』には、はやくもオニール戯曲の多くに見られる死への欲動、母と娼婦の連動するイメージが導く女性への思慕と嫌悪がみられる。オニールの自我の二重化といってよい『悪魔祓い』の重要性と意味づけを「不気味なもの」の視点から探る。


第2日 9月29日(日)

シンポジウム
オニールのアメリカ

司会兼パネリスト  中央大学  黒田絵美子
パネリスト  摂南大学  天野 貴史
   拓殖大学  大森 裕二
   都留文科大学  竹島 達也
   大阪大学  貴志 雅之

 オニールは、1916年初演のBound East for Cardiff以降、The Library of Americaの全集3巻に収められた50作を含む、60作以上の作品および草稿を生涯にわたって執筆した。20世紀アメリカ演劇の黎明期を牽引し、アメリカ演劇を世界レベルに高めたオニールの功績が、アメリカ演劇史上、唯一のノーベル文学賞受賞劇作家として今後も長く演劇史に刻まれ、さらなるオニール研究が生まれていくことに疑いの余地はない。本シンポジウムにおいては、初期、中期、晩年のオニール作品を各パネリストがそれぞれの視点から読み解き、「オニール」と「アメリカ」という二つのキーワードの関連性を見出すことを目標として論を進めていく。各パネリストが抽出した「オニールのアメリカ」が、フロアとの活発なディスカッションを経て、ひとつのまとまりのある「アメリカ」として見えてくることを期待する。
 1935年以降4年半の間、オニールは、A Tale of Possessors Self-Dispossessedというタイトルのもと、物欲に支配されたアメリカの家族、ハーフォード家の崩壊をテーマにサイクル劇を書くことに没頭していた。この間、1936年にはノーベル文学賞を受賞しており、オニールがアメリカを代表する文学者と自任し、自分の描くべき題材として「アメリカ」を意識し、自らに課してサイクル劇を完成させようとしていたことが推測される。結局このサイクル劇は彼が当初目指した形では完成しなかったが、本来取り組むべきこのサイクル劇を一時棚上げして半ば気晴らし的に書かれた作品がThe Iceman ComethLong Day’s Journey into Nightという、後期の代表作となった。
 さらに、詩人、冒険といった要素をはらむ海と、安定と平凡の象徴である陸での暮らしという対比(Beyond the Horizonなど)や、自らの帰属すべき場所を求める主人公(The Hairy Ape)など、手の届かないものに強い憧れを抱いて求め続けては挫折し、失望するという、オニール作品に共通するパターンは、アメリカにとどまらず、普遍的な人間の状況を描出している。
 オニールが最初の一幕劇A Wife for a LifeThe WebThirstRecklessnessWarningsを執筆したのが1913年であるから、そこをオニールの劇作元年と考えれば、今年はオニールの劇作100周年、さらに、1953年に逝去したオニールの没後60年という二重に記念すべき年になる。その意味でも、21世紀の今日、オニールの作品群と再度対峙することで新たに見えてくるであろう人間の諸相とはどんなものであるのか、本シンポジウムでの活発な議論に大いに期待したい。

(黒田絵美子)

移動と労働――Eugene O’Neillの初期海洋劇

摂南大学 天野 貴史

 辺境開拓者に代わり、19世紀末から20世紀初頭のアメリカで国民的関心を集めたのはHoboと呼ばれる人々だった。移動を信条とする彼らは、たとえばWilliam W. Aspinwall――路上での愛称は“Roving Bill”――のように簡易宿泊所や歓楽街が並ぶ都市の「大通り」に集まったり、「ジャングル」と呼ばれる湖岸や川岸の野営地で寝泊まりしたりしながら各地を渡り歩いた。移動には徒歩よりも鉄道が好んで用いられたが、客室に乗るのではなく、動いている列車に飛び乗っては車両の底や屋根に身を隠すのがHoboの(男らしい)乗り方だった。もちろんHoboの放縦な生き方は批判の的となった。しかしあてもなくうろつき回るだけがHoboではない。The Hobo(1923)の著者Nels Andersonもそうであったように、Hoboとはホームを持たない路上の労働者である。彼らは都市の「大通り」に押し寄せては「奴隷市場」と呼ばれる職業紹介所で「人夫集め」と交渉し、鉄道に乗って遠隔地へと「船出」した。なかでも人気の目的地は発展著しい西部であり、そのことからHoboは「遅れてきた辺境開拓者」とも「西部の彷徨うプロレタリアート」とも呼ばれた。
 本発表は、この「Hoboのアメリカ」を参照枠として、Eugene O’Neillの初期海洋劇を読み直すものである。Bound East for Cardiff(1914)を移動と労働の観点から読み解くことによって、アイルランド人乗組員Yankが「海の上のHobo」であること、Glencairn seriesが――Gertrude Steinの言をもじるならば――「移動(と労働)に満ちたひとつの空間」を構成することが明らかになるだろう。一方、Yankが登場する第3作The Hairy Ape(1921)が示すのは、彼がまさに「遅れてきた」Hoboであり、そのフロンティア的空間の消失にともなう「Hoboのアメリカ」の終焉である。発表では、人種・ジェンダー・階級の観点からHoboの時代の終わりを論じると同時に、Yankが登場する第2作Moon for the Carribbees(1917)を顧みる。こうしてO’Neillの初期海洋劇はHoboの一時代を活写する。そこで論を結ぶにあたり、初期O’NeillをTheodore DreiserやJack Londonの名で語られることの多いHobo文学に参入させる試みを行う。

オニール演劇と放蕩

拓殖大学 大森 裕二

 マルクス思想やアナキズムに早くから関心を示したオニールの多くの作品に通底するのは、貪欲な現代物質文明世界に対する警鐘であり、登場人物たちの労働、貯蓄、消費といった経済的活動に注目すると、大別して二つの興味深い類型的人物群像が浮かび上がる。Desire under the Elms に登場するエフライム・キャボットは、19 世紀ピューリタニズムの流れを汲む敬虔、勤勉、強欲な人物であり、その精神をより世俗化した形で継承したのが、その他数多くの作品群に登場する「実業家」型人物である。Beyond the Horizon において父祖伝来の農場を捨て実業家に変貌するアンドリュー・メイヨー、The Great God Brown の「世界に遍在する真面目な成功の神」ウィリアム・ブラウン等が直ちに思い浮かぶが、物質的な豊かさのみを追求する彼らの盲目性が作者による手厳しい批判の対象となっていることは、既に繰り返し指摘されているところである。一方、勤勉や貯蓄、倹約の精神を鼻で笑って蕩尽に明け暮れるのが、第二の類型たる「放蕩者」型人物であるが、先行研究では彼らのモデルが作者の実兄に求められることが指摘されるばかりで、体系的な研究は皆無である。
 ジョルジュ・バタイユによれば、いわゆる「未開社会」の経済活動の要となっていたのは、生産ではなく消費であった。獲得した富をいたずらに貯えるのは恥ずべき吝嗇であり、共同体のリーダーには気前の良さが求められ、貯えた富は公共的に盛大に消費された。対照的に、資本主義産業システムの発達した現代社会では、儲けた利益は更なる生産のために蓄積され、およそかつての祝祭の精神からは程遠い、真面目、勤勉、倹約を是とする「実業家」型人間像が支配的となったのである。
 かつての祝祭人間の末裔にも思われる「放蕩者」型人物には、現代物質文明世界に対する作者オニールの批判精神が少なからず託されているはずである。The Great God BrownThe Iceman ComethHughie 等の作品を手がかりに、このことを検証する。

劇作家ユージーン・オニールの「ニューヨーク物語」

都留文科大学 竹島 達也

 ユージーン・オニールは、1946年の『氷人来る』の初演のリハーサルにおいて、アメリカについて、次のように述べている。「アメリカは、天罰を受けるべきだ。アメリカ合衆国の歴史書には、アメリカ政府が今まで犯し、認めてきたすべての不当な犯罪のページを作るべきだ。」と述べている。加えて、アメリカの経済発展を導いた、アメリカン・ドリームやアメリカの大企業の指導者についても、尋常とは言えないほどの嫌悪感や不快感をとても激しい言葉で表明している。このようなオニールのアメリカ観の淵源をたどるためには、劇作家オニールとその作品世界を解明する上で最も重要な地域の一つであるニューヨークを軸に据える必要があるように思われる。
 オニールは、20世紀初頭の現代アメリカ演劇の創成期において、ニューヨークのマンハッタンで生活したことにより、劇作家として生涯に渡ると言っても過言でないほどの大きな影響を受けた。父親が俳優であったこともあり、オニールはニューヨークのホテルで家族と暮らし、ベッツ・アカデミーやプリンストン大学に通っていた頃も、ミッド・タウンの西側に位置する繁華街、テンダーロイン地区に頻繁に出入りしていた。ニューヨーク港から大西洋航路の船乗りとして旅立ち、波止場地区にあるジミー・ザ・プリーストという安宿の常連客でもあった。また、1911年におけるアイルランド・ダブリンのアビー座のニューヨーク公演においても、演劇人として大きな影響を受けた。さらに、グリニッチ・ヴィレッジでは、革新的な思想の持ち主である、社会活動家や文化人、芸術家たちと接して、自らの劇作品の特質の原形を形成することにつながるほどであった。
 本発表では、このようにオニールに深い関係のあるニューヨークを舞台にした作品(『蜘蛛の巣』、『毛猿』、『氷人来る』、『ヒューイ』を予定)を取り上げ、それらの劇作品としての特色にも充分に留意しつつ分析し、ニューヨークというロカールをキーワードにした「オニールとアメリカ」論を展開してゆきたい。

自己を演出するオニールの主人公たち――『ヒューイ』を中心に

中央大学 黒田 絵美子

 1942年に脱稿した『ヒューイ』(Hughie 1964年ブローウエイ初演)は、もともと『死亡記事の形で』(By Way of Obit)というアンソロジーの中の一編であったが、のちにオニールが他の作品を破棄してしまったために唯一残ったものである。アンソロジーには、『ヒューイ』同様、語り手と聞き手の二人で構成され、語り手が最近亡くなった人物について語る、というスタイルの作品が収録されていたそうである。死者についての物語をひとりが語り、ひとりが聴く、というスタイルは、日本の能に通じる。しかし、能における聴き手であるワキ(多くは旅僧)が同情を寄せてシテの語りや謡に耳を傾けるのに対し、『ヒューイ』のフロント係は、劇の大半、エリーの話を聞いていない。オニールがこのようなスタイルの二人芝居を考案してシリーズ化しようとしたことに、日本の能のスタイルからの影響があったのか否かは現時点で定かではないが、物言わぬ死者ヒューイに関するドラマを、エリーが語る際には、生前のヒューイの人物像にエリーの演出が加わっており、また、ヒューイとのかかわりにおけるエリー自身の在り方についても(むしろこちらのほうが大きいが)、ドラマ化する際に多分に自己演出が加えられている。本発表においては、ヒューイとのかかわりにおけるエリーの自己演出という点と、共感を持たない聴き手フロント係の内面を解説したト書きを詳細に検証し、他の作品における登場人物の自己演出も参照しつつオニールがこの二人芝居において目指した演劇の新境地を推測する。「アメリカ」とのかかわりは、ニューヨーカーを自任するエリーが自己をどう演出しているかを見ていく過程で浮彫になってくるものと期待している。劇の終盤で、それまでエリーの語るドラマにまったく興味を示さなかったフロント係の心が動くところにその鍵(魅力あるアメリカの要素)が秘められているのではないかと推測している。

ユージーン・オニール、反逆の演劇の軌跡
  ――詩人、所有者、憑かれた者たちの弁証法

大阪大学 貴志 雅之

 自らを含む家族を描いた晩年の自伝劇『夜への長い旅路』を、オニールは「妄想に憑かれたティロウン家の四人すべてに対し、深い憐れみと理解、寛恕の思いをもって」書きあげた。『氷人来る』と『私生児に照る月』と同様、『旅路』はオニールが未完に終わる連作劇群サイクル、「自己を喪失した所有者の物語」の創作に行き詰まり、同構想を一旦棚上げにした時期に執筆される。物欲・所有欲による自己の喪失という人間のドラマを独立戦争から20世紀にいたるヤンキー・アイリッシュ一族の年代記として描くサイクルは、アメリカとアメリカ人の根源的問題を問い直す巨大構想だった。つまり、家族を描く物語とアメリカという国家の物語、この二つの物語の創作に晩年のオニールは取り組む。しかも『旅路』とサイクルには、ある共通項が存在する。それは初期から後期に至る作品群に散見される詩人と所有者、そして「憑かれた者」の自己喪失のモチーフである。これらが個人、家族、一族、さらにアメリカという国の物語を結ぶキー・コンセプトとして底流する。
 プロヴィンスタウン・プレイヤーズと活動をともにした若き日のオニールは、既存の商業主義演劇に対峙・対抗する小劇場による「新演劇」、言わば体制への反逆の演劇の旗手として劇作家の道を歩み始める。そのオニールが晩年に至って自身の家族と国家双方の物語を作品化するなかで、何らかの欲望や観念に憑かれたアメリカ人の姿が前景化する。それは何を意味するのか。
 本発表では詩人と所有者、憑かれた者たちの問題系を軸に、オニールのテーマ、ドラマトゥルギーの軌跡を検証する。この検証のなかでオニールと家族の関係性、1910年代のグリニッチ・ヴィレッジの対抗文化的風土と精神性は有意義な指標を与えてくれるに違いない。これらの検証を通し、アメリカに憑かれた劇作家オニールによる「反逆の演劇」とその軌跡を再評価し、アメリカを見たオニールのまなざしを考える。