大会報告

全国アメリカ演劇研究者会議 第27回

と  き 2010年7月24日(土)・25日(日)
と こ ろ 名古屋丸の内東急イン(〒460-0002 愛知県名古屋市中区丸の内2丁目17番18号)
テーマ 18・19世紀アメリカ演劇研究

第1日 7月24日(土)

研究発表

司会: 都留文科大学  竹島 達也

1.ジャクソニアン・ジェミニの末裔―合衆国的英雄スパルタクスの文化的求心力

大阪大学(院)  森  瑞樹

 古代ローマの剣闘士の物語は、現在においてマルチメディアに展開する合衆国の一大産業・文化としてある。剣闘士物語の合衆国への普及は、Robert Montgomery Birdが、スパルタクスの物語をThe Gladiator(1831)として19世紀初頭に蘇らせたことに端を発する。「大衆の英雄」?合衆国第7代大統領アンドリュー・ジャクソン―政権下の観客は古代ローマをイギリス、スパルタクスの反乱を合衆国の独立に見立て、文化的独立意識と愛国意識を高揚させた。つまり、独立戦争直後のアメリカ演劇に顕著であったように、The Gladiatorも、「アメリカなるもの」の追求・創造による合衆国の文化的独立の物語として捉えられた。その結果Birdは、「合衆国の理想的英雄」を作り上げた愛国者として名を馳せる。
 しかし、当時激化していた黒人奴隷の反乱を支持し、舞台化への欲求に駆られながらも、Birdは、物語を合衆国的に(白人好みに)カモフラージュし、保身をはかったと後に綴っている。このように、The Gladiatorには、民族浄化政策を徹底したジャクソン政権下で燻り、葛藤するBirdの姿も織り込まれている。つまりThe Gladiatorとは、矛盾する2つの物語を内包する政治的/文化的産物なのである。
 しかし、初演当時においても、そしてオルタナティブな読みが明確となったポストモダンの合衆国においても、The Gladiatorの転覆性は忘れ去られている。つまり、WASPのみではなく、アフリカ系アメリカ人のThe Gladiatorの消費も、「合衆国の理想的英雄」の一極に集中している感は否めない。
 そこで本発表では「スターシステム」、「新古典主義」等の視点から、現代にまで影響を及ぼす「合衆国の理想的英雄」の文化的求心力、またそれが可能にした自己言及的な転覆的物語抹消のシステムを解明する。その際に、James Nelson Barker のThe Indian Princess(1808)を対立項として論じてゆく。それにより、現代アメリカ文学が政治的メッセージを発信する際に有効、もしくは無効となる表象の一端も明らかになるだろう。

2.Mark Twainと19世紀後半のアメリカ大衆演劇
  ――小説The Gilded Ageから演劇Colonel Sellersへの転換

大東文化大学 中垣 恒太郎

 Mark Twain(1835-1910)の長編小説第一作The Gilded Age: A Tale of Today (1873、Charles Dudley Warnerとの共著)は、1870年代の時代思潮を体現するアメリカ史の用語として定着するまでに幅広く読まれ、その舞台化作品は興業的にも大成功をおさめた。劇作家David Mametが昨今のハリウッド業界を「現代の『金メッキ時代』」になぞらえたことからも、投機熱・上昇志向といったある種のアメリカ的気質を端的に示した作品として現在も捉えられていることがわかる。
 G. B. Densmoreによる舞台化作品は当初、作者Twainの許諾を得ずに上演されていたが、話題を聞きつけたTwainが脚本の権利を200ドルで買い取り、実際にはほとんど加筆していないものの、作者としての立場で以後の興行に関与した。この舞台化作品Colonel Sellers (1874)は、主要人物であるColonel Sellersを演じたJohn T. Raymond(1836-87)の怪演が人気を呼び、12年間にわたり上演が続けられ、Tom Sawyer , Huck Finnといった小説での代表作をも凌ぐ10万ドル以上の莫大な収益をTwainにもたらした。Twainは以後も脚本執筆、舞台化に並々ならぬ意欲を燃やしたが、続編Colonel Sellers as a Scientist (William Dean Howellsとの共作、1884)も含めてその目論見はすべて失敗に終わっている。
 本発表では小説The Gilded Ageがいかにして舞台版Colonel Sellersに転換しえたのかを、テクストとなる戯曲、興行上演の文化的背景について分析を試みる。Henry James、William Dean Howells、Bret HarteといったTwainの同時代人である小説家たちもまた、劇作に意欲的に関与していた事実から、彼らが19世紀アメリカ演劇にどのような可能性を見出していたのかをも展望してみたい。アメリカ大衆演劇がショー・ビジネスとして確立される以前の、混沌とした文化状況が浮かび上がってくるのではないか 。


第2日 7月25日(日)

シンポジウム
「独立戦争から19世紀末に至るアメリカ演劇」

司会兼パネリスト  大阪大学  貴志 雅之
パネリスト  中央大学  黒田絵美子
   大阪大学  岡本 太助
   京都学園大学  古木 圭子

 1915年のプロヴィンスタウン・プレイヤーズとワシントン・スクエア・プレイヤーズという2大アバンギャルド劇団の誕生とユージーン・オニールの出現をもたらした1910年代の小劇場運動は、現代アメリカ演劇の黎明期とされ、この時代からアメリカ演劇はヨーロッパと肩を並べる世界演劇レベルの舞台を展開する。これが一つの共通認識になっている。一方、1714年、ニューヨーク植民地総督のRobert Hunter 作Androboros が演劇作品として初めてアメリカで出版されて以来、18世紀から19世紀にかけてアメリカで上演された演劇作品のなかにはシェイクスピアなど英国からの借り物演劇、あるいは19世紀ヨーロッパ演劇の盗作・脚色が多数あった。国内でアメリカ独自の演劇作品を生み出そうという機運も、利潤追求の華やかなショー・ビジネスの陰に隠れ、そのためこの時代のアメリカ演劇界は “A Borrowed Theatre”/ “Show Business”と言及されるのが常である。
 しかし、アメリカの国家形成と発展に、演劇が政治・文化・社会にわたって深くかかわってきたことも事実である。この観点から考えると、植民地時代から20世紀転換期に至るアメリカ演劇の様相は一変する。植民地時代から独立戦争にかけ、イギリスへの追従・忠誠を支持するロイアリスト/イギリス軍と、ホイッグ党を中心とした独立戦争支持派が、演劇上演によって熾烈な政治プロパガンダを展開し、独立を巡る政治力学で演劇は多大な役割を担った。また同時に、ピューリタンを中心とした神権政治による抑圧、あるいは1774年大陸会議による植民地における演劇上演の反対宣言など、政治・宗教に対して演劇が持つ影響力ゆえに逆に規制・禁止を被ることもあった。独立後、若き共和国となったアメリカは、国家およびナショナル・アイデンティティの形成から領土拡大、さらに産業資本主義大国(帝国)への道を歩む。その過程で、政治・文化の支配的イデオロギーとの共犯/対抗関係を持ちながら、アメリカの歩みを映し出すとともに、アメリカ的なるものを生産する文化社会的、政治的メディアの役割を果たしていく。つまり、アメリカの国家形成と発展・拡大、ヨーロッパとの緊張関係を含め、演劇はアメリカの政治・社会・文化的変化と密接に結びつき、国家形成・発展のあり方と方向性を左右する強力なダイナミズムを示したのである。この意味で、植民地時代から19世紀末・20世紀転換期に至るアメリカ演劇の社会的政治的研究の意義は極めて大きい。
 本シンポジウムでは、特に独立戦争から19世紀末に至る時代を射程に、独立戦争、南北戦争、奴隷制問題、インディアン戦争、西漸運動などの歴史問題、ファッション、経済、人種、ジェンダー等の問題、メロドラマからリアリズムへというアメリカ演劇の展開を含め、多角的な視野からこの時代の演劇を考えていく。最終的に、アメリカの国家形成と発展、ナショナル・アイデンティティ生成に関わる問題系を表象するアメリカ演劇の問題意識と展開、そしてその方向性を、社会的・政治的・文化的視座から再検証し、アメリカという国家の歩みとアメリカ演劇の関係性を考察・議論していくことで、アメリカ誕生以来、20世紀転換期直前に至るアメリカ演劇研究の新たな布石となれば幸いある。

(貴志 雅之)

若き共和国アメリカを巡る人物表象と間テクスト性の舞台

大阪大学  貴志 雅之

 独立戦争後のアメリカで、演劇はアメリカ/アメリカ人のアイデンティティ概念の形成・普及にかかわる問題系を映すとともに、アイデンティティ概念の形成・普及を促すパフォーマンス・メディアだった。  英国贔屓、愛国者、ヤンキー、スパイ、インディアン(ネイティヴ・アメリカン)、牧師、魔女・妖術師の断罪を受ける親子など、特徴的な人物(表象)が登場する当時の舞台は、ナショナル・アイデンティティ生成を巡るアメリカ人のアンビヴァレントな精神状況を映し出す。一方にイギリス/ヨーロッパへの文化的従属・依存・傾倒、他方に新興共和国アメリカの文化的・精神的独立への渇望、という二つの相反する精神性の混在と葛藤状況が舞台上の人物と人物関係に表象される。またこの葛藤状況は、劇作家自身の作品創作の方法・プロセスにも影響を及ぼす。イギリス/ヨーロッパの先行テクスト(演劇作品)の改訂・改変、あるいはイギリスとの関係性に起因した植民地時代の歴史的事件を題材にして、アメリカ的なるものを作品化しようとする劇作家が活躍した。こうした社会的・政治的状況の中から、アメリカ人の底流にある旧世界との緊張関係の上に立った「アメリカ的なるもの」、新たなるナショナル・アイデンティティ創造への欲求と志向性が演劇作品を生み出していった。  本発表では、Royall Tyler のThe Contrast (1787)、William Dunlap のAndre (1798)、James Nelson Barker のSuperstition (1824)、以上3作を中心に、作品テクストが孕む文学的・文化的間テクスト性と舞台上の人物表象を中心に、若き共和国アメリカのナショナル・アイデンティティ創造を巡るアメリカ演劇の政治学を検討する。そのなかから、(1)イギリス/ヨーロッパの文学文化遺産に依拠しつつ、進行形のアメリカの歴史と国家的アイデンティティ生成を舞台化する劇作家の劇作行為と(2)作品テクスト自身が描きだすアイデンティティ創造に向けた旧世界との緊張関係、この両者のパラレル関係をも浮上させることができればと考えている。

19世紀中葉のアメリカのfashionとlawをめぐる考察

中央大学 黒田絵美子

 19世紀中葉に書かれた、Fashion (Annna Cora Mowatt 1845)とThe Octoroon; Or Life in Louisiana (Dion Boucicault 1859)を扱う。この2作品はともにアメリカのアイデンティティの模索がテーマとなっている。前者においては、fashionをキイワードに、一家の女主人Mrs. Tiffanyが、あくまでもヨーロッパスタイルの生活や振舞いに拘る。経済に破綻をきたしてもなおフランス風に執着するその姿に、Blanche Du Boisの源流を求めることが出来ないか、分析してみたい。また、後者においては、細分化される登場人物たちの出自を背景に、しばしば繰り返されるlawという言葉に着目したい。登場人物それぞれが、Yankee, Indian, Quadroon, Octoroon, Yellow, Educated in Europeなどといった属性を負わされ、人間関係にpower gameが存在する一方で、感情的な好悪も複雑に絡む。勧善懲悪的な単純な展開であることは否めないが、それだけに当時のアメリカにおけるjusticeおよびlawというものの本質が読みとれるのではないかと推察される。19世紀中葉のアメリカにおいては、奴隷制をめぐってミズーリ協定(1820)やカンザス・ネブラスカ法(1854)といったルールが制定された。奴隷制の是非に関するこれらの法の持つ意味合いと絡めつつ、当時のcommon lawを形成していた人々のmentalityやmoral senseを登場人物たちの言動から抽出していきたい。また、作劇法については、両作品ともにasideという形で登場人物たちの内面が語られていることが特徴として挙げられる。このmonologueの形式と劇効果についても分析したい。

破壊と再生のレトリック――AndréShenandoahにおける戦争の舞台化

大阪大学 岡本 太助

 独立戦争と南北戦争は、アメリカという制度とそれを裏打ちする理念の、まさに根幹に関わる事件であった。そして同時代のアメリカ演劇は、これらの戦争を記録し、記憶するための文化的装置として機能したのである。しかしそれは、演劇が公正中立な媒体であるということを意味するものではない。演劇は特定の歴史認識を一方向的に送り出すだけのものではなく、時代の情勢や観客の欲求などの様々な条件の中で、それらと対話する形ではじめて成立するものだからである。したがって我々は、アメリカ史における重大な戦争についての劇を読むだけでなく、劇とそれを可能なものとした諸条件との関係性を、アメリカを巡るもう一つの物語として読むような、複眼的視点を持たなければならない。本発表では、戦争における死と破壊をより良い未来の建設の礎とするという、アメリカ的レトリックの萌芽と変容の過程と、そこにおいて演劇が果たした役割を、二つの徴候的作品を通して跡付けることを目指す。
 今回扱うWilliam DunlapのAndré (1798)とBronson HowardのShenandoah (1888)は、それぞれ独立戦争と南北戦争という出来事が、いまだ過去のものとはなっていない時期に、それらを舞台化した作品である。Andréの初演に対する観客の反応を見たDunlapは、ごく最近の過去を物語として提示することの困難さを実感したという。発表の前半では、この証言を議論の出発点として、Andréの時代背景について確認し、さらに劇中における様々な対立をつぶさに検証したうえで、歴史と物語の境界についての理論的考察へと進みたい。後半では、同じようにShenandoahの時代背景を押さえたうえで、リアリズム歴史劇・メロドラマ的恋愛物語・政治的アレゴリーなど、複数のジャンルとスタイルが混在する劇の構成に言及し、その効果について考察する。さらに、南北戦争という題材であれば当然そこにあるべきテーマの不在を手掛かりに、Andréとも比較しながら、Shenandoahの政治的無意識ともいうべき部分を明らかにしたい。

「転換期」の劇作家――James A. Herne

京都学園大学 古木 圭子

 「アメリカのイプセン」と呼ばれるJames A. Herneは、アメリカ演劇の「リアリズム」化を推進したとされる一方、そのオリジナリティを疑問視する声もある。Dorothy S. BucksとArthur H. Nethercotは、Margaret Fleming(1890)とIbsenのA Doll’s Houseにおけるプロットの類似点を指摘し、HerneがIbsenの影響を多大に受けていたと指摘する。また、この戯曲の前に発表されたDrifting Apart(1888)が、典型的メロドラマと捉えられることが多いため、彼のリアリズム演劇への転換が突発的であると評される。
 しかし、Margaret Fleming以前のHerne戯曲をメロドラマと位置づけることが妥当であろうか。Arthur Hobson Quinnは、Margaret Flemingを“the study of a woman’s character”と評するが、その萌芽は、既にDrifting Apartに現れている。Margaret Flemingの主人公は、女性ばかりでなく男性にも「貞節」を求めるという「理想」を口にする。Drifting ApartのMaryは、4年も姿を消した後に復縁を迫る夫Jackに対し、彼からの「支配」を拒絶する宣言をする。Drifting Apart は、夫婦の別離が単なるJackの夢であったという結末であり、彼の酒癖をたしなめる「教訓劇」として捉えられることが多いが、Maryの内的葛藤を見る限り、「リアリスト」Herneの成立の奇跡をたどる上で重要な作品と位置づけられる。
 本発表では、以上の点を踏まえて、James A. Herneの戯曲の分析を中心とし、ヨーロッパ演劇の影響も考慮に入れた上で、アメリカ演劇におけるリアリズムの成立過程、およびメロドラマからリアリズム演劇への転換について考察する。その過程で、Herneが「転換期」の劇作家としての役割を真に果たしていたのかどうかを明らかにしたい。