2025.07.12
日本アメリカ演劇学会 第14回大会プログラム
2025年9月6日(土)・7日(日)
会場:愛知学院大学 名城公園キャンパス7701教室(アリスタワー7階)
住所 〒462-8739 愛知県名古屋市北区名城3丁目1−1
URL(交通アクセス):https://www.agu.ac.jp/access/meijo/
・地下鉄名城線 名城公園駅から徒歩1分(※詳細については、プログラム最終ページをご参照ください。)
大会テーマ:
Lynn Nottage特集
第1日 9月6日(土) 受付 14:20~14:50 (会場 7701教室)
研究発表 15:00~17:30
研究発表
司会:長崎外国語大学 黒木 優介
東洋大学(院) 三浦 大輝
司会:大阪大学(非)西村 瑠里子2.The Lady from Dubuque と「生存の美学」――Albeeによるホモネスへの誘い
早稲田大学(院) 中西 亮介
懇親会 18:00~20:00
第2日 9月7日(日)
シンポジウム 10:00~12:30(前半)/14:00~15:00(後半)
総会 15:15~16:15
シンポジウム:
Lynn Nottageの創出――歴史・身体・主体性
| 司会・パネリスト | 青山学院大学 | 外岡 尚美 |
| パネリスト | 信州大学 | 田所 朱莉 |
| パネリスト | 静岡大学 | 辻 佐保子 |
| パネリスト | 東洋大学 | 佐藤 里野 |
研究発表
司会:長崎外国語大学 黒木 優介
――Tennessee Williams作品における逸脱と表象のポリティクス
東洋大学(院) 三浦 大輝
Tennessee WilliamsのThe Glass Menagerie(1945)とA Streetcar Named Desire(1947)には、身体的・精神的に「病める」存在として描かれる人物が登場する。その「病める」人物であるLauraとBlancheはいずれも社会の規範から逸脱し、周縁化された立場に置かれながらも、主体性の確立を模索する点で共通している。
The Glass Menagerie のLauraは、足に抱える軽度の障害と極度の内気さから社会生活を拒むが、ガラスのコレクションや動物園のペンギンには強い関心を示している。このようなふるまいは、しばしば現実逃避的行為と論じられるが、常に逸脱者として他者からの視線を向けられてきたLauraは、ガラスのコレクションやペンギンに自身が受けてきた視線を反転させることによって「見る側」としての位置を確保し、主体性を模索しているようにうかがえる。
A Streetcar Named Desire のBlancheは、南部淑女的な演技をすることで、自らの逸脱を隠そうとする。しかしその演技は、Blancheを精神異常者として捉えるStanleyの視線によって暴かれ、最終的に彼女は排除されてしまう。とはいえ、Blancheは視線を向けられる客体としてのみ存在しているわけではない。南部のフランス系名家出身のBlancheは、ポーランドにルーツを持つStanleyに格下と見なす視線を向けることで、自らの優越を確保し、主体的な行為として自己を位置付けようとする。両者の関係は、一方が他者化されるだけでなく、互いに他者化を仕掛け合う、緊張と対抗の構図として展開されている。
本発表では、視線の交錯に着目し、「病める」人物たちが一方的に他者化される存在であるのみならず、自ら他者を作り出すことで主体性を模索している点を明らかにしたい。たとえ「病める」存在であっても、主体性を確保するために他者を利用し、他者化するという構造に注目することで、Williamsは単に社会的弱者に寄り添うのではなく、人間の脆さとともに、そこに潜む利己性や醜悪さにまで迫る劇作家であることを示したい。
司会:大阪大学(非)西村 瑠里子
――Albee によるホモネスへの誘い
早稲田大学(院)中西 亮介
Edward Albeeの戯曲The Lady from Dubuque (1980) について、セクシュアリティを切り口とした先行研究は見受けられない。しかし、テクストからは多数の S/M 的ニュアンスを含む要素を見出せる。1980年前後のアメリカでは性愛や、それに基づく関係性についての思考的な、そして実践的な実験が数多くなされた。なかでもミシェル・フーコーがゲイによる「あらたな生活様式」の基として熱心に思弁したのが S/M だ。戯曲中の S/M 的要素を社会的な問題意識の痕跡と捉え、その扱われ方の変遷を分析することで、初演時には批評的そして興行的失敗を喫したこの戯曲に、劇作家のキャリア前半をまとめる作品としての価値を見出すことを、本発表は目指す。
本発表では、関係性やジェンダーについて致命的な問題を抱えた三組の異性愛カップルが繰り広げるドラマを、それぞれが既存の制度から脱し、あらたな身体観と関係性を得ようとする試行錯誤だ、と読解する。まず彼らが実践する S/M 的ゲームはカップルの境界を撹乱し、オルタナティヴな関係性がうまれる余地を示す。しかし謎の二人組、ElizabethとOscar が登場すると、彼らが繰り返す S/M 的ゲームは空回りし、むしろカップル間の分断を深めてしまう。Albee の作劇はクィアな関係を産む性実践としての S/M の限界も指摘する。
互いを求めることに縛られない ElizabethとOscar を通して、Albee は異性愛的な欲望からは到達できない自己と外部世界との関係性へと登場人物や観客を導いている、と読むことができる。彼の提示する独特な自他関係は、フーコーの「生存の美学」を批判的に継承したレオ・ベルサーニによる「ホモネス(Homoness)」すなわち、能動的に欲望する前に、自己と世界とは同質性によってつながっている、という認識に通ずる、と本発表は主張する。The Zoo Story(1958)で描いた実存の檻の孤独から、Albee がたどり着いた境地をあきらかにしたい。
シンポジウム
Lynn Nottageの創出――歴史・身体・主体性
| 司会・パネリスト | 青山学院大学 | 外岡 尚美 |
| パネリスト | 信州大学 | 田所 朱莉 |
| パネリスト | 静岡大学 | 辻 佐保子 |
| パネリスト | 東洋大学 | 佐藤 里野 |
Lynn Nottage(1964-)は、一つのカテゴリーに収まらない劇作家である。コンゴ民主共和国の紛争地域を舞台に女性の搾取とアフリカの「胆っ玉母さん」を描いたRuined (2008)、自らのルーツを否定する上昇志向の現代ニューヨーカー女性を風刺的に描くFabulation, or The Re-Education of Undine(2004)、20世紀転換期のニューヨークを舞台に正統派ユダヤ教徒の服地屋とカリブ人労働者との間で揺れる仕立屋の女性を叙情豊かに描くIntimate Apparel(2003)、また近年のミュージカルMJ(2022)など、題材の上でもスタイルの上でも実に多様な作品がある。二度のピューリツァー劇作賞受賞という輝かしい受賞歴と、現地取材も交えた周到な調査に基づく緻密な劇構成、人種・階級・ジェンダー・セクシュアリティの交差性への視点、リアルな人物造形の点で、まさに現代アメリカ演劇を代表する劇作家であると言える。
さらにNottageの演劇は、RuinedやSweat(2015)によって、特に日本で定着したかに見えるドキュメンタリー的な現実的イメージに反して、複数のメディアやジャンルへの言及および利用により、額面通りの現実らしさを超えたビジョンを提示する仕掛けが必ずある。アフリカ系アメリカ演劇においては1950年代のLorraine Hansberryの家族劇に対して60年代以降のAdrienne Kennedyによるポストモダン的家族と主体性の解体、さらに80年代後半からリアリズムに超自然的・幻想的要素を混入させるAugust Wilson、高度な抽象性のなかで身体性・物質性を通してアフリカ系アメリカ人の歴史とエージェンシーを舞台上に現前化させるSuzan-Lori Parks、そして近年主流の家族劇に回帰しリアリズム劇の可能性を再発見させたBranden Jacobs-Jenkinsなど、さまざまな演劇形式のなかでそれぞれの時代の関心や思考が演劇に描き出されてきた。Nottageの劇作形式やビジョンはそのようなアフリカ系アメリカ演劇の系譜のなかで、ひいては現代アメリカ演劇の系譜のなかで再検討すべきものである。
本シンポジウムでは、ドキュメンタリー、映画、ミュージカル、絵画など、複数のジャンルやメディアに言及または参入するNottageの作品を取り上げ、アフリカ系アメリカ演劇における表象の歴史的文脈や歴史記述の批評的問題、そして同時代のアフリカ系アメリカ演劇およびポピュラー・カルチャーとの交差などを検討し、この稀有な劇作家を演劇的・思想的系譜のなかに位置づけることを試みたい。
(外岡 尚美)
Lynn Nottage流の「反復と改訂」
――SweatとClyde’sで創造される現代史
田所朱莉
2016年、Donald Trumpがアメリカ大統領選を制した際、The Wall Street Journalは、Sweat(2015)を「トランプの勝利を説明する演劇」と評した。本作の舞台は、最も貧しい都市のレディングである。Jennifer L. Hayesが、この場所を「経済的および政治的問題の縮図」と指摘するとおり、Sweatはまさに現代アメリカの様相を映し出す。
本作では、工場労働者の苦境と精神的荒廃、そして同胞内での軋轢が、2000年と2008年を往還する形で描かれる。Julie Burrellは、この劇構造に着目し、“The movements from 2000 to 2008 also invoke the recurrence of historical events, their repetition and revision across space and time, similar to what dramatist Suzan-Lori Parks refers to as the technique of Rep & Rev.” と論ずる。しかし、反復されるのは時間構造だけではない。創作の舞台としての街もまた繰り返されている。
Nottageは、2017年に現地でマルチメディア・インスタレーション(“This is Reading”)を企画し、さらにSweatで暴力事件を起こしたJasonが登場するClyde’s(2021)を創作した。これらの創作の礎となったのが、2年半にわたり実施された現地調査である。Nottageの創作は、調査で得られた具体的な出来事や問題点を作品に落とし込むことで、その問題点へと至る過去の蓄積を明らかにしつつ、観点と手法を変えながら反復的にレディングの現代史を描き直す試みに他ならない。
さらに重要となるのは、現地調査の際、レディングの人々が常に「過去形」で語った点である。これは、Nottageが創作を行わなければ、レディングをめぐる物語が過去のものとして固定化されることを意味する。観客を巻きこむ形で実施されたマルチメディア・インスタレーション、そして希望を見出せるエンディングで幕を閉じるSweatとClyde’sは、観客に対して、レディングの未来を想起させる。
Nottageの創作の意義は、停滞したレディングの物語を、未来あるものとして紡ぎ直す点にある。本発表では、Parksの劇作を参照軸として、SweatとClyde’sにおけるNottageの劇作法を分析する。それにより、過去の事実・Nottageの創作・観客の記憶が融合することで、レディングの物語が単に再現されるのではなく、新たに創造されていくメカニズムを明らかにしたい。
“The Jukebox Musical”の隘路に分け入るMJ the MusicalのLynn Nottage的「完璧さ」
――Clyde’sを参照項に
辻 佐保子
Lynn Nottage作品においてしばしば、登場人物は「完璧さ(perfection)」を強烈に希求する。本発表では、マイケル・ジャクソン財団が製作に深く関与する “the Jukebox Musical” であるMJ the Musical(2021)における「完璧さ」から、Nottageの劇作家としてのポイエーシスを考察する。
“The Jukebox Musical”ではアーティストの伝記が多く扱われるが、俳優が実在人物を演じようとパフォーマンスを洗練させるほど物真似ショーに陥るという隘路を有している。MJは、1992年「デンジャラス・ツアー」の稽古場を舞台に展開される。Michael Jacksonは自身のヴィジョンを完璧に具現化しようするが、取材や予算や納期といった制約に直面する。それでもなお、MJは細かい動作や短いフレーズを繰り返してなんとかステージを形づくろうとする。この「完璧さ」を追究するMJの姿は、Michael Jacksonに肉薄しようと “the Jukebox Musical”に出演する俳優の困難の体現をメタ的に提示するものとなっているのではないか。
脚本未出版のMJ の「完璧さ」を分析するにあたり、Nottage自身が繋がりを明言しているClyde’s(2021)を参照するのは有効だろう。たとえばClyde’sで、Montrellousはダイナーで提供する「完璧な」サンドイッチ作りに情熱を注ぐ。本発表では両者の「完璧さ」へのアプローチを比較分析することで、MJにおける「完璧さ」をNottage作品の系譜に位置づける。その上で、MJにおける「完璧さ」の追究が、MJ演じる俳優の完璧なまでの身体芸が要請される “the Jukebox Musical” の構図に対し、批評性の提示に繋がることを考察する。
メイドを演じる黒人映画スター
――Nottageのコメディ的戦略
佐藤里野
By the Way, Meet Vera Stark(2011)は、1930年代のハリウッドに生きた黒人女優Vera Starkの半生を描く風刺劇である。主人公Veraのモデルとなった実在の黒人女優Theresa Harris(1906―1985)は、1930年代から50年代にかけて多くのハリウッド映画のメイド役を演じたが、大部分の出演作がノンクレジットだったためアメリカ映画史においては埋もれた存在であった。Harrisのような無名の黒人女優たちに声を与えるキャラクターとして、Veraは強い意志と野心を持ち、人種差別と性差別が蔓延するハリウッド黄金期のスタジオでキャリアを掴むために奮闘する。本発表ではこの戯曲を中心に取り上げ、アクティヴィズムと結びついた劇作で評価されているNottageの風刺劇の特性を再考する。
本作の第1幕はスクリューボール・コメディのスタイルで演じられ、Veraは「白人」女優Gloriaをサポートしながら、自身は類型的な奴隷の娘Tilly役を獲得しようと画策する。第2幕で舞台は現代に移り、Veraの「再発見」を目的とするジャーナリストや研究者らが映画産業における彼女の黒人女優としての功罪を議論する。人種的ステレオタイプの風刺的パフォーマンスとそれに対する注釈とを並列するこのような手法は、Nottageと同世代ではSuzan-Lori Parks、後進ではJackie Sibblies DruryやBranden Jacobs-Jenkinsなど、現代の黒人劇作家の間で広く取り入れられているドラマツルギーである。この中でNottage作品の特徴を挙げるとすると、一つは映画やテレビ番組といった大衆メディアの前景化、および「捏造」という手法の拡大(例えばNottageはVeraのフィルモグラフィや「自伝」の紹介を含む “Rediscovering Vera Stark”というHPを作成している)であろう。さらに、“by the way”という副詞句の曖昧な働きに示唆されるように、観客とVeraが出会う劇場は、黒人女優の物語を矮小化しようとする圧力とそれに介入しようとする力とが交錯する空間に位置付けられることになる。本発表では以上の側面に焦点を当てながらNottageが演劇というメディアを通して提示しようとする政治的・芸術的ビジョンを浮かび上がらせ、その上で黒人女性劇作家としての位置付けを再検討することを試みる。
“Critical Fabulation”
――Las Meninasの遠近法
外岡尚美
本発表では、17世紀フランスを舞台に、ルイ14世の宮廷で王妃が黒人の子供を産んだというスキャンダルを題材にしたLas Meninas(2002)を取り上げる。「モレの黒い修道女」として知られ、肖像画も残る実在の女性、ルイーズ・マリー・テレーズ(Louise Marie-Therese)が語り手となって、ルイ14世の宮廷と王妃、そして王妃に仕えた黒人の小人ナボ・センスガリ(Nabo Sensugali)と自らの出自を再構成する劇である。肖像画と宮廷人の回想録に断片的な記録が残るこの女性とその誕生をめぐるスキャンダルはどのように再構成し得るか。アフリカ系アメリカ文学・文化史研究者のサイディヤ・ハートマンは論文 “Venus in Two Acts” (2008)のなかでアーカイヴ自体が権力によって構成され、人間としてのアフリカ人が不在であるなか、「予言され、予期された死の年代記を、死者の集合的伝記として、人間の反歴史として、自由の実践として、どのように書き直すのか」と問い、「クリティカル・ファビュレーション(critical fabulation)」という、歴史的な記録の空白を埋めるために、歴史的・文献学的研究と批判理論、そしてフィクションの物語を組み合わせる方法論を提唱した。
NottageのLas Meninasはそのような「ファビュレーション」の実践と考えられる。これが単に抹消された歴史を想像的に描く歴史ロマンス劇ではないことは、ナボの語りがブラック・ディアスポラの失われた主体性を再構成していることにも表れているが、何よりもその劇形式に埋め込まれた時間性と遠近法に示されている。劇のタイトルが言及するディエゴ・ベラスケスの名画「ラス・メニーナス」について、フーコーが論じた17世紀の表象関係およびキャサリン・ベルジーが精神分析的視点から論じた主体性の問題は、この劇の形式と最終的に劇が生成するものを理解する導きの糸となる。
<大会参加に関して>
第14回大会に参加ご希望の方は、8月6日までに下記のURL もしくはQRコードからお申し込みください。
※今年度大会に大会参加費は発生いたしません。
※昨年度大会からホテルの斡旋はおこなっておりません。ご宿泊される場合は各自でホテルをご予約ください。
申し込みURL: https://forms.gle/YXZGLPRv9iM2dYoQ9
QRコード:

<懇親会に関して>
懇親会に参加ご希望の方は、8月6日までに下記のURL もしくはQRコードからお申し込みのうえ、8月29日までに同封の「振込用紙(懇親会費)」にて会費をお振り込みください。期限を過ぎた場合はご参加いただけない可能性がありますので、ご了承ください。
会場:Garb Castello(※場合により変更の可能性あり)
会場URL:https://garb-castello.jp/
会場アクセス:地下鉄名城線・名港線「名城公園駅」2番出口徒歩2分
「名古屋城駅」7番出口徒歩8分
一般会費:6,000円
学生会費:3,000円
※領収書が必要な方は、「振込用紙(懇親会費)」の通信欄に「領収書希望」と明記ください。
※申し込み後の変更や、その他ご不明な点がございましたら事務局までご連絡ください。
申し込みURL: https://forms.gle/UDcqi9buZLNU26GY9
QRコード:

<年会費に関して>
「振込用(年会費)」にて2025年度年会費(一般:6,000円/学生:4,000円)をお振り込みください。本学会は皆様からの年会費によって運営されています。お早めのお振込みをよろしくお願いいたします。
※会費は当該年度を明記願います(今年度分は2025年度)。大会当日に会場での会費納入はできません。
※領収書が必要な方は、「振込用紙(年会費)」の通信欄に「領収書希望」と明記ください。
※住所等に変更が生じた場合は、通信欄もしくは事務局へのメールにてお知らせください。
<振込用紙を紛失した場合>
各種振込用紙を紛失された場合は、以下の口座をご参照ください。
振込先口座:郵便振替口座 00990-8-269899
加入者名:日本アメリカ演劇学会
<会場までのアクセスの詳細>
学会会場:愛知学院大学 名城公園キャンパス7701教室(アリスタワー7階)
交通アクセス:

アリスタワーは、最寄りの市営地下鉄名城公園駅から一番離れた建物となります。
キャンパス案内のURL:https://www.agu.ac.jp/guide/campus/
キャンパス案内のQRコード:
