2020.07.16
貴志雅之 著
『アメリカ演劇、劇作家たちのポリティクス——他者との遭遇とその行方』
金星堂,2020.6.30. 四六判. 上製. 478頁, ¥3,000 ISBN978-4-7647-1203-4
「アメリカ演劇の/によるアメリカ文化研究」を基調に、アメリカニズムのパラダイムを可視化、脱構築する20世紀-21世紀「アメリカ演劇、劇作家たちのポリティクス」の営為と方向性を、歴史社会文化的文脈から照射するアメリカ演劇政治文化論。
序 章 アメリカ、劇作家たちのポリティクス
パターソン・ストライキ野外劇――反逆者たちの蜂起
グリニッチ・ヴィレッジ、「新たな」運動のフォーカルポイント
二つのアヴァンギャルド劇団
二〇世紀アメリカ演劇黎明期に登場したオニール
アメリカ演劇、劇作家たちのポリティクス――他者との遭遇とその行方
本書の全体構成
第Ⅰ部 帝国への政治学
第一章 グローヴァーズ・コーナーズの地政学――
『わが町』に見るサブリミナル・ポリティクス
《スペシフィック → ジェネラル》をめぐる理念と問い
グローヴァーズ・コーナーズ――
《スペシフィック → ジェネラル》の演劇表象の方法論
《スペシフィック → ジェネラル》の世界観・死生観と目的
グローヴァーズ・コーナーズの地政学
アメリカ神話普遍化装置
アメリカ神話というサブリミナル・ポリティクス
『わが町』/『サブリミナル・インパクト』/『メディア・コントロール』
第二章 帝国化するアメリカ、反逆する他者――
テネシー・ウィリアムズ、SF、黙示録的政治劇
帝国への道と反逆への道
軍産複合体支配に挑む反逆の騎士/クイア――
SFファンタジー 『ナイトリー・クエスト』
逃亡者から反逆の雌オオカミへ――
黙示録的政治劇『レッド・デヴィル・バッテリー・サイン』
新人類の起源神話
レッド・デヴィル、ドクター・フィールグッド、パラノイア
二つのアメリカン・ロードが交錯するバトルフィールド=アメリカ
第三章 帝国支配の記号学――舞台の上の銃と他者
アメリカ大陸発見・征服から――帝国支配の表象としての銃/大砲
アステカ征服のキャノンボール――『黄金の時代』
黒人皇帝の「銀の弾丸」神話 ――『皇帝ジョーンズ』
黒人奴隷の逆襲 ――『奴隷船』/『奴隷』
黒いリンカーン暗殺ショー ――『アメリカ・プレイ』/
『トップドッグ/アンダードッグ』
戦争花嫁の銃弾 ――『ティー』
帝国神話のスパイラル
第Ⅱ部 亡霊のドラマトゥルギー
第四章 ユージーン・オニール、反逆の演劇の軌跡――
詩人、所有者、憑かれた者たちの弁証法
詩人、所有者、憑かれた者たち
詩人と物質主義者・所有者の系譜学
シェイクスピア劇から『モンテ・クリスト伯』へ――父ジェイムズへの反旗
新たな演劇を目指して――プロヴィンスタウン・プレイヤーズと
グリニッチ・ヴィレッジの対抗文化を経て
アメリカ、「自己を喪失した所有者の物語」――
詩人、所有者、憑かれたる者の弁証法
劇場から遠のく劇作家――アメリカに憑かれたオニール
第五章 エクリチュールと私生活を巡るウィリアムズ晩年の亡霊劇
――亡霊・狂気・罪悪感
「追憶の劇」から「亡霊劇」へ
作家夫婦物語――エクリチュールになった私生活
ゼルダの領有とヒロインへの成型
二重ジェンダーの作家
作家というプレデターと狂気にいたる女性
ゼルダ、スコット、ヘミングウェイ――
ウィリアムズ自己内省モデルとしての作家物語
亡霊劇――時空を超える自己内省
第六章 テネシー・ウィリアムズ、亡霊のドラマトゥルギー
――記憶、時間、エクリチュール
亡霊のドラマトゥルギー
追憶と亡霊――『ヴィユ・カレ』から『曇ったもの、澄んだもの』
同時共存・交錯する現在と過去――病いと死、亡霊たちとの対話
セクシュアリティとエクリチュール――絶望的急迫状況と条件交渉
二重写し
亡霊化するオーガスト――審美空間における記憶と時間
亡霊に憑かれた舞台、記憶、ゴースティング
記憶・時間・エクリチュール――ダブル・ヴィジョン、
亡霊のドラマトゥルギー
第七章 アメリカ演劇、亡霊の政治学――冷戦・クイア・ポスト冷戦
『エンジェルズ・イン・アメリカ』の亡霊
テネシー・ウィリアムズ『やけたトタン屋根の上の猫』
――クイア・カップルの亡霊と二つのヴァージョン
デイヴィッド・レイブ『ストリーマーズ』
――ヴェトナム戦争とクイアに見る「他者の政治学」
アメリカの天使と亡霊、女性とクイア――時代の終わりと始まり
亡霊、クイア、そして演劇の政治学
第Ⅲ部 他者の共同体
第八章 パラダイムの逆襲
――『フェフとその友人たち』に見るポリフォニーの幻影
謎めいた幕切れ
『フェフ』が示すポリフォニー/ヘテログロシア
ポリフォニーが示す関係性――特異な存在としてのフェフ
ジュリアの病いと狩猟事故
精神と身体の間テクスト性――ジュリアの病いと幻覚
第二部から第三部へ――狂気にされる個性
フェフによる象徴的ジュリア殺し(1) ―― 先行研究の議論
フェフによる象徴的ジュリア殺し(2) ――パラダイムの弾丸
迷宮からの出口へ
第九章 クイアのポスト・ヴェトナム――
ランフォード・ウィルソンの『七月五日』をめぐって
ヴェトナム戦争の余波――身代わりの山羊となった復員兵とその後
ユートピア創造の夢と失楽園
クイア隠遁者と企業家――反戦活動家の二つのその後
排除の歴史――身体化された異質性・周縁性
挿話、寓話、そしてSF――物語化された異質性と再起への鍵
クイアのポスト・ヴェトナム政治学
第十章 もう一つのスモールタウン――
日系アメリカ演劇が映し出す「記憶の町」の妻たち
もう一つのスモールタウン
記憶の町――大戦前の日系農業スモールタウン
『そして心は踊る』――封建制の犠牲となった夫と妻
「出稼ぎの地」から「流刑地」へ
排日法政と排日感情
排日に晒される日系農民のジェンダー
女たちの移住農民生活 ――日系農民の妻、エミコとハナ
『ミュージック・レッスン』――未亡人となった写真花嫁、チズコ
「ノウバディ」――本に書かれることのない日系移住農民物語
更新される記憶の劇――コミュニティを作る力
第十一章 覚醒のヴィジョン――オーガスト ・ウィルソンの
「二〇世紀サイクル」における「骨の町」/「骨の人々」
序
「骨の人々」に覚醒するルーミス
――『ジョー・ターナーが来て行ってしまった』
「骨の町」の地政学と中間航路の幻想航海――『大洋の宝石』
アーント・エスター――黒人共同体の精神的指導者
「骨の町」・「骨の人々」のヴィジョンから一族の祖先の霊へ
喪失するルーツの記憶――民族的記憶とレガシーから乖離する
アフリカ系アメリカ人コミュニティ
人種的記憶・歴史を繋ぐ血族の邂逅と黒人共同体の新たなる継承者・戦士
第Ⅳ部 他者との遭遇とその行方
第十二章 解剖と越境
――パークス劇におけるポストコロニアル・スペクタクルとしての身体
パークス劇におけるポストコロニアル・スペクタクルとしての身体
フリークショーから解剖劇場、そして博物館へ――『ヴィーナス』
黒人復活人が再表象する、スペクタクルとなるヴィーナスを見るまなざし
ヴィーナスを演劇化し、コロニアル言説との共犯を非難されるパークス
シグニファイングから「レプ&レヴ」+「レフ&リフ」
「歴史の大穴」レプリカの黒いリンカーン・スペクタクル
――『アメリカ・プレイ』
ゴースト化する身体のポストコロニアル・スペクタクル――
支配言説の表象から脱構築のメディアへ
第十三章 ポストヒューマン・エコロジー向けて――
『海の風景』における種間遭遇
ヒューマンとノンヒューマンの遭遇
これまでの人間中心的前提に立った批評
ポストヒューマニズムとエコクリティシズムの接点
人間夫婦と海トカゲ夫婦との出会いと交流
人間中心主義の進化論と自然の中の異種共生
変化・突然変異・移動・遭遇
海辺のノマド――ノマド的主体と海辺の地政学
最終場面、「わかったよ。はじめてくれ。」
「生」に込められたオールビーの生命観・世界観
第十四章 天界と人間界、災害を生き抜く政治学――
トニー・クシュナーの『エンジェルズ・イン・アメリカ』
災害としてのエイズから――『エンジェルズ・イン・アメリカ』の問い
エイズ患者ロイ・M・コーン――パワー・ブローカーの最期
プライアー・ウォルター――預言者となったエイズ患者
天使が予知するディザスターとベンヤミンの「歴史の天使」
オゾン層を修復する死者の魂、想像力、荒廃―移動―変化
新たな歴史の始まり――ベテスダに集う多元多人種共同体
結び――「災害を私たちはどう生き抜くか」
第十五章 タブーを犯した成功者――
『山羊――シルヴィアってだれ?』における幸福の追求と破壊
「幸福の追求」、その社会的理想像の破壊
ユートピアの化身を愛(犯)した建築家――自然の領有による自然の喪失
崩落する家族の幸せ――妻子への暴力を認知できないマーティン
山羊と悲劇――身代わりの山羊
疫病のパラダイム――支配的イデオロギーとメディアの暴力
「悲劇の定義に向けた覚書」――再定義の試み、寛容性の限界
結 論 新たなチャンネルを開くポリティクスに向けて――
わたしのなかの他者、他者のなかのわたし
『エンジェルズ・イン・アメリカ』から『山羊――シルヴィアってだれ?』へ
他者化との遭遇
心の病、その脱スティグマ化に向けた舞台へ――
二一世紀アメリカ演劇の一つの方向性
あとがき
初出一覧
註
引用・参考文献
索引